を3週間を経た昨日、再び訪ねてみました。
災害地は、防府市の市街地から3キロ程離れた巨岩の露出する急峻な山に囲まれ、
中心部に佐波川と言うきれいな河が流れ、災害さえ無ければ日本のどこにでもあるような
のどかな田園地であることをあらためて実感しました。
田んぼの向こうにある山が西目山です。


普段、ゆるやかに清流がながれるこの川で、
1時間に70ミリを記録した雨は土石流濁流となって、
流域の人家を巻き込み、4人の犠牲者が出ています。







ライフケア高砂があります。


民家の周りに、一メートル程たい積した土石は、
どぶ川の様なにおいがあたり一面に立ちこめ、
足を踏み入れるとズブズブと埋もれる程、ぬかるんでいます。


雑木が大きな根っこでふんばり、流れに最後まで抵抗した様子があちらこちらで見られました。


雑木が災害からひと月経った今でも緑の葉を付けて、耐えるようにして立っています。










他の災害現場に比べ急ピッチで復旧工事が進められていました。
大きな砂防ダムを造るようです。
崩落の本当の原因はちゃんと追求されたのでしょうか?
残念な事です。
巨額な税金をつぎ込んで、無用で、無能な砂防ダムを造るのです。
まったく目先の事しか考えていません。




足下の土を削り取られ根っこをさらしていますが、
私には災害の原因と、これからの災害防止への教えを訴えかけているように感じられ、
この姿を確認するために、再度この地を訪れたました。

この木は残されるはずですが。
しばらくしたら、また、確認に行きます。


















災害直後、ほとんどが土砂に埋まっていたそうですが、
なんとか滝だけが、もとの姿に戻っていました。





そのなかのおじいさんに話しかけると、戦前までこのあたりのやまにはクヌギ林が沢山有り、戦時中に炭として軍に差し出すためほとんどの雑木が切り倒された事や、その後組合林として杉が植林され
おじいさんの、おじいさんが山の木は絶対に扱うなと言っていたそうで、
雑木林の根が張れば、山は崩れないと、そのおじいさんに教えられ知ってはいた。
と、その後、教えに背いて杉の植林をした事を悔やんでいました。










両親の出身地が、熊本の八代、広島、とそれぞれ離れているため
お盆の墓参りは我が家の習慣には無く、
これまで兄一家と、おふくろを誘って海に山にと盆の休日を遊び回り、
お盆休みを満喫してきたような、罰かぶりな一家でした。
さすがに、今年はお盆の三日間を神妙に過ごしたので、兄貴もどこかで苦笑しているでしょう。
本当は四万十川のほとりか、海辺でどんちゃん騒ぎでもした方が、
喜んだ事でしょうが、さすがにそうはできませんでした。
夜は甥や子供たちが、築55年の私の実家で(すぐ裏が竹林)怪談のビデオを見て
恐怖の夜を過ごしたようで、
毎朝、赤い目をして、
それなりに楽しい日々を過ごしておりました。
