平成29年11月12日。
戦後、焼け野原となった河原町に闇市から発展した商店街は
昭和30年代の大火災で消滅した。
翌年地域の共同出資でビルが建てられ、多くの繊維問屋が入居した。
共同で建てたため店舗の家主がそれぞれ異なりビルを売却するにも
取り壊すにも話がまとまらず、街中にポツンと取り残されてしまった。
そこへ若いクリエイターを誘致しようという計画が立ち上がった。
その時カフェギャラリー・GALLERY ADOを開いた
女性店主が、自治組織・河原町文化開発研究所を作り、
若いクリエイターを誘致し今の形になったという。