鹿児島県鹿児島市「天文館ぴらもーる商店街」
2015年 05月 25日
江戸時代、第25代薩摩藩主・島津重豪が天体観測や暦の研究施設として明時館
(別名「天文館」)を建設したことに由来する。
明治期までは天文館一帯は薄の生える空き地も目立つような寂しい場所であったが、
大正時代前期に南林寺墓地が移転し、大正時代後期から昭和初期にかけては
路面電車が開通したことから、同時に鹿児島座(1918年火災により焼失)
をはじめとした多数の映画館や劇場が開館した。
それに伴い鹿児島各地から昼夜の別なく多くの人々が押し寄せるようになり、
まもなく周辺に映画客目当てとした飲屋や赤線、食堂などが自然発生的に現れた。
千日町や山之口町界隈の歓楽街は、その頃に原型が形成された。
その後、山形屋呉服店が大正時代初頭に神戸以西で初の
鉄筋コンクリート造の大型デパートを開業すると、
周辺の商店や町屋が次第にショッピングゾーンに変貌し、
戦前には現在の街並みがほぼ完成された。
(ウィキペディアより。)