福岡県飯塚市(旧嘉穂郡)「筑穂町」
2014年 12月 12日
私の実家は飯塚市長尾という所に有り、
2006年の合併前まで地名は嘉穂郡筑穂町と呼ばれた。
筑穂町は昔嘉穂炭坑があり、石炭の町として栄えた。
熊本の出身である私の父は大学を卒業後、田川の上田炭坑に
救助隊の隊員として就職するが、
この町で大学の先輩の経営する土建会社にに誘われ
勤務する事になる。
しかし、父は炭坑の町に就職しながらも、私が小学校に上がる頃から
長崎の伊王島炭坑に単身赴任し、それから6年程
盆と正月しか家には帰ってこなかった。
当時の面影を残す炭住が今も数件残っている。
昭和45年に炭坑が閉山されるまでは1区から3区まで炭坑住宅が
立ち並び、それぞれの区には炭坑風呂と呼ばれる銭湯ほどの
大きさの大衆浴場ががあり、住民ではなかったが炭住すむ
友達とならばただでその風呂に入る事が出来た。
栄町と呼ばれたこの一帯には大きなスーパーマーケットや駄菓子屋、映画館
があり、映画館は冬の暖房として練炭が座席横の通路に
並べてあり、映画を見終わる頃は頭がくらくらしたが、
今思えば軽い一酸化炭素中毒を起こしていたのであろうが、
全体がスキマだらけで死人が出る程の大事にはならなかった。
私が出た上穂波小学校。
当時小学校の運動会は町を上げてのイベントで、沢山の出店が並び
縁日のようににぎやかで、大人達は公然と酒を飲み酔っぱらった。
筑豊本線、上穂波駅。
炭坑が閉山し、ここから沢山友達が各地へ旅立って行った。
父は小学校5年生まで住んでいたそうです。
近々、生まれ故郷を見たいと父と旅行に行く予定なのですが
50年以上前の事なので町が変わってしまい、どこに何があったか分からない様でしたが
このブログを見て少しずつ思い出して思い出話をしてくれました。
本当にありがとうございます。
有吉商店から坂道を上り下った先のクリーニング店を祖父がやってました。
昔は魚屋もあり肉屋もあり案外と人通りもありましたけどつい最近帰ったら限界集落並みに人がいなくてビックリしました。
懐かしい写真にホッコリしました。
懐かしいです。
みどり幼稚園の向かいには映画館があり、よく姉や兄とよく行きました。
その坂を降りたところが私の同級生がいた吉原のパン屋でした。かげやまの隣にはみしん屋というお婆さんがやっていた駄菓子屋さんがありました。
いやー、懐かしいなー
行ってみたいけど奈良県からでは遠いなぁー