鹿児島県「いちき串木野市」
2014年 10月 17日
平成26年9月28日。
町の一部は川内原発からわずか5.4キロ。
たえず危険と向き合う。
しかも町全体の9割が20キロ圏内、町全体が30キロ圏内にすっぽり入る。
それにもかかわらず、未だに原発の立地自治体からは外され、
再稼働の同意の対象に組み込まれていない。

九電は、災害時の避難計画を唯一の立地自治体である仙台市に丸投げ状態。
原発に事故が起これば周辺地域の協力が無くては避難はできない
にもかかわらず、つんぼさじきの周辺自治体との対立の溝は深まり
災害が起こった時に混乱するのは誰の目にも明らかだ。

串木野へは12年前、甑島へ取材で向かう途中立ち
寄って以来2度目の訪問。
その時の記憶は、まぐろの水揚げで町は活気づいており
まぐろラーメンを食べた事をはっきり覚えている。
猫が食べ物をねだるような鳴き声を上げ、ぞろぞろとついてきた。

YAMAHA発動機と書かれた廃屋の扉が開いたまま壊れていた。
のぞくと、建造の途中で放置された船がそこにあった。

地方の経済は疲弊している。
政治は経済界、とりわけ都市部にしか発展の目を向けてはいない。




ドリームキャノピー
「串木野さのさ」を踊るときに用いる編み笠をモチーフにデザインされ たそうだ。

バブル時地方に箱もの建設の補助金がばらまかれ、無意味な構造物が
乱立したが、当時行われた愚作の象徴としてその姿をさらしている。
市内を3時間程歩き回り、鹿児島市内に向かった。
鹿児島脱原発デモ鹿児島の様子。
この日はデモと合わせ6時間程歩き回ったため、クタクタになった。
翌日は薩摩半島を南下し、坊津へ向かう予定だった。が、
仕事の予定が繰り上がる可能性が出てきたため、
市内の近くで見つけたたぬきの湯で疲れをいやし、
再び串木野に戻って車中泊。