小出裕章先生講演会
2012年 02月 13日
2カ所に分けて開かれた。
11日の講演会場アバンセでは、300人の定員に対し立ち見が出る程の盛況ぶりだった。
小出先生は高校時代には「地質部」で、野外で岩石や地層を追い求めながら自然に親しんだ。
大学入学時は「これからは石油・石炭でなく原子力の時代」と考え原子力工学を志したが、
現代の原子力工学における放射線被害の実態を知ったことで、所属機関の趣旨と逆の、
原子力発電に反対するスタンスをとるようになったとしている。
以後現在まで一貫して「原子力をやめることに役に立つ研究」を行なっている。
311福島第一原発事故より後講演の依頼が相次ぎ、平成11年だけで日本全国
100ヶ所で講演を開いてきた。
それでも各地から相次ぐ依頼に対して10分の1しか引き受けられない。
「体があと10個は欲しい」と思っているそうだ。
その強靭な体力は驚かされる。
若い頃から登山が趣味で、日本アルプスの山々を休みの度に登ったそうだが、
じん帯を痛め今は山へはでかけていない。
が、講演の間2時間半、一度も椅子に座る姿は無かった。
私が原子力に反対する根本の理由は、「自分だけが良くて、危険なものを人に押し付ける。」
そんな社会が許せないからです。
佐賀新聞の取材を受ける小出さん。
翌日の朝刊に記事が掲載された。(2月12日佐賀新聞朝刊)
翌日12日は浄光寺というお寺の本堂で講演が行われ、200名が講演を聴いた。
講演を前に、「体は大丈夫ですか?」と、訊いて見た。
「戦争ですから、休んでいる訳には行きません」との答えに、自分とは覚悟の違いを
思い知らされた。
講演後も質疑応答が相次ぎ、帰りの列車の時間のまで後わずかとなったが
一つ一つの質問に実に誠実に対応してゆく姿。「伝えたい体事は山ほど有るのだろう。」
集まった人々も、訊きたい事は尽きなかった。
この日も2時間半と言う時間は、あっという間に過ぎてしまった。
小出先生活動の様子を、前回行われた小倉と大分の講演会で取材をし、
(人間の鎖No6)として谷本さんがまとめていますので、ぜひこちらもご覧下さい。
この時は私が怪我のため行けなかったので、この動画のタイトルバックのスチール写真は
(亀山ののこさん)が快く引き受けてくれました。
この場を借りてお礼申し上げます。
黄昏時にたたずむ小出先生の笑顔 「いい写真ですね、ありがとうございました。」
小出さんの戦場に私たちも支援に駆けつけねばなりませんね!
ふ~さんの右手の回復の早さには驚きです!若いモデルを素早いシャッターでとらえてきた賜物ですね!(菊^――^菊)
大分での講演会で菊之助さんとのやり取りが、人間の鎖no6小出裕章
編に収録されていましたが、同じ会場に居た人の都合で残念ながら削除され、幻となってしまいました。
小出先生の反骨精神は生半可なものではありませんでしたが、菊之助さんも同じですね!