酔眼的日常を写真日記でつづります。リンクフリーです。写真の無断転用は禁止致します。


by whosanf

町並みを保存・継承する市民活動。

「10月6日福岡県八女市」。

15年程前、この町の町政要覧の仕事に関わった事があり、

伝統工芸である和紙、ハゼ蝋、提灯、仏壇、石工品、

お茶、町並み、など様々なものを取材した。

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当時も八女の中心部である福島には、

白壁の商家が立ち並んでいた。

けれど、今回おどろいた事にその数が増えていた。

町家保存会と書かれた建物に入り、中にいた

館長さんにその理由を訪ねた。

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その時いただいた資料をここに添付する。

福島は、明治に入っても往還道路沿いの町並みは

依然として中心街として栄えたが、

徐々に近代化の洗礼を受けることとなった。

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明治後期に入るとまちの北側に西から東へ国道442号、

東側に北から南に国道3号が整備され、

国鉄(現JR)羽犬塚駅から「馬車軌道」や久留米から「電気軌道」が通じ、

交通網の整備や手段により国道442号と国道3号が交わる

土橋(どばし)が八女の地の玄関口として栄えることとなった。

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その繁栄は戦後まで続いたが、

昭和40年代以降には国道3号のバイパスの完成、

九州自動車道八女インターの開設、国鉄(現JR)矢部線の廃止、

福島を四角に囲む環状線道路の完成などにより

車中心のまちの骨格が形成された。

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こうした都市構造の変化は、

商店街が立地する中心部から商業機能を

国道3号バイパスや環状線道路沿いにシフトすることとなった。

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往還道路沿いの町並みは、

商業機能は失ったものの戦災やモータリゼーションに

伴う開発などから免れ、現在でも矢原町・古松町・京町・宮野町・紺屋町には、

伝統的町家建築が多く残っている。

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市民が八女福島の町並みの価値に気づくきっかけとなったのは、

1988年(S63)に東京町(ひがしきょうまち)の

「旧木下家住宅」(堺屋)が市に寄贈され、

修理・復原された(公開は1992年(H4)ことに始まる。

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また、1991年(H3)の大型台風によって被害を受けた

伝統的町家が取り壊されて空き地になるなど、

町並みが歯抜け状況になるのを見て危機感を感じた市民有志が、

勉強会を重ね1993年(H5)にまちづくり活動を展開する市民団体

「八女・本町筋を愛する会」を発足させ、「八女町屋まつり」が取り組まれた。

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この影響で八女福島の町並みに市民や観光客の

関心が向けられるようになった。

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さらに、1994年(H6)にはまちづくり団体

「八女ふるさと塾」が新たに発足し、

八女福島の町並みを活かすまちづくり活動が、

市民が主体的に実践する形で充実してきた。現在、

地場産業でもある雛人形をアピールする

「雛の里・八女ぼんぼりまつり」や伝統的町家をミニギャラリーとして

伝統工芸品や絵画などを展示する「八女福島白壁ギャラリー」

など町並みを舞台としたイベントが、様々なまちづくり

団体等により取り組まれ、定着してきている。と、あった。

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by whosanf | 2014-11-08 10:46 | 風景写真 | Comments(0)