反骨の市長がいた町。
2014年 10月 22日
鹿児島県阿久根市には竹原信一(前市長)の発案で
シャツターに描かれた絵(トリックアート)が街をにぎわせている
と言うニュースを以前耳にした事があった。
実際街を歩いて行くと、至る所にエアーブラシで書かれた絵が
「これでもか!」と言うように存在していた。
後で調べたところ、この絵を描いたのは清田定男さんと言う方で、
全国を放浪しながら、気に入ったところでシャッタにー絵を
書いて回ると言う、現代版山下清のような人だとの事。」
下書きは一切なし。
大道芸のように見物人の前で見る見るうちに書き上げたそうで、
大きなシャッターでもほぼ一日で一枚の驚異的なスピードで
絵を書き続け、平成21年9月15日から1年と4ヶ月その活動は
続き、相当な枚数が描かれた事になる。
当時清田さんの年齢は71才だったと言うから
そのバイタリティーには、当時世間が物議を醸し出した点を
差し引いて、正直、驚いた。
議会政治と対立し、独裁市長などとたたかれ世間をにぎわした
市長でしたが、当時私はこの市長を支持していました。
竹原前市長はある講演会でこのように述べています。
町村政治は、ほとんど派閥争いのなかで行なわれます。
住民も支持議員に合わせて対立します。
しかし、議会は対立をしていません。対立に見せかけながら、
結局は「政権は支持者を優遇するのは当然」と住民総意を偽装する。
このように、見かけの政権交代をしながらお互いの利権を享受します。
住民は対立したまま、本当の議会の姿を知らないのです。
たとえば、1983年の「原発講演会」での高木孝一敦賀市長の講演。
「そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりができるんじゃなかろうか、
と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。
これは(私は)信念を持っとる、信念!
......えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、
50年後に生まれた子どもが全部片輪になるやら、
それはわかりませんよ。わかりませんけど、
今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか...。
こいうふうに思っております。
どうもありがとうございました。(会場、大拍手)。
『(会場、大拍手)』には呆れます。呆れるけれども、
住民はこの程度のものだというのを私も体験してきました。
私は、住民が議会と役所のひどすぎる現実を知れば、
暴動が起きると思っていました。
ですが、2万4,000人ほどの小さな市で、
真実を伝えるビラを合計20万枚以上、5年間も配り続けたが暴動は起きなかった。
結局のところ、私が議員をし、市長をするという小さな反乱があっただけ、
逆に、議員と市役所職員、新聞社、テレビ、裁判所、検察、
プロ市民といった特殊集団が反乱を起こす日々が続きました。
阿久根市は新市長に交代した今、シャッターに欠かれたこれらの絵を
「落書き」と評し、削除し続けている。