篠栗土石流災害地のその後
2010年 03月 27日
篠栗は九州八十八カ所霊場があり,そのほとんどの礼所寺院が山間部の谷沿いに点在しています。
その中で、今回被害にあった2つの寺院と民家は、他より急峻な谷沿いの場所にありました。
2009年8月24日二人の犠牲者が出た民家の道路脇から撮影
今回同じ場所から、渓流沿いの道は車が通行出来るまでに復旧しています。
その場所から150メートル上流にある,一の滝寺。
災害直後、このお寺の住職と寺族は道路が寸断し、橋も流され
孤立し寺に居た人々はヘリコプターで救出されたそうです。
本堂の内部は修復されていましたが、外回りは未だ破損したままの状態です。
一の滝寺で住職の奥様に話を聞く事が出来ました。
奥様は災害の時には病院に入院されており、被害には直接合っていないそうですが、
今後の普及に関してはかなり不安を感じておられおられました。
寺の周辺には寺を境にして右側がヒノキの人工林、左側が自然林が残されていますが
奥様はこの寺に嫁がれて50年になるそうで、
ヒノキが植林されている場所も以前はの自然林だったそうですが、戦時中伐採し木炭として
軍に差し出したそうでが、左側にある自然林は先代の奥様が嘆願して伐採を免れたとのことで
した。
地元の人は代々、雑木が地崩れを防いでくれる事は誰もが知っており
上流に数ヶ所ある砂防ダムが、土石流災害に対しては気休め程度の役割でしかあり
得ない事も良く知っておられました。
それにもかかわらず、町は災害の後、数カ所の研究機関に調査を依頼したとの事ですが、
今後の対策として大型の砂防ダムを造る工事にすでに着工しており。
根本的な対策はこの場所でもなされてはいませんでした。
倒壊した神代之滝不動院。
この場所のすぐ下に流出した民家があります。
20098月24日、崩落起点の斜面。
今回、砂防ダムが建設されています。